Kebv Company

私の日記も兼ねつつ、何かしら有益な情報が書ければ

喫煙者が嫌われる理由ってなんだろう?

私は年中タバコを吸っている。仕事の都合で、およそ一年タバコをやめたことがあるが、ニートになってからは、積極的に吸っている。ちゃんと成人してから吸うようになったし、喫煙歴は浅い方だと思われるが、それでも嫌われている感じがわかる。文字通り、煙たがられている感じだ。でも、なぜそこまで嫌われるのだろうか?私は物事に頓着がない方なので、タバコを吸う前から、喫煙家には対して抵抗はなかった。実際、そういう人もいくらかいるのだろうが、一体なぜここまで嫌われるのか。この機会に自分なりに考えて見ようと思う。
先に言っておくと、タバコは最悪だという意見が普通だと思うし、喫煙者は嫌われて当然だと思っているが、今回はなぜ嫌われてるのかを考えたいということ。嫌煙家批判とかそういうものではないので、悪しからず。

におい

これはしょうがない。吸っていても臭い。この臭いが嫌いな人が大多数ではないだろうか?特に、臭いについては人によって、過敏さが異なる。鈍い人や慣れてしまった人よりも、敏感に感じる人にとっては何十倍もキツいだろう。

健康に害がある

昨今では、タバコのパッケージにもデカデカと書かれるようになった。タバコによる健康被害については、すでに周知の事実となった。タバコを吸っている人を見れば、肺がんと即座に連想される。この人はいつ私のレントゲンを撮ったかのか、甚だ疑問だが、科学的な根拠に基づいている考えだと思う。副流煙でとばっちりを喰らいたくない気持ちもわかる。
ところで、嫌煙家の皆様は、そんな至近距離でタバコを吸われているのだろうか。後を付け狙うようにして、タバコを吸われているのだろうか。大気汚染レベルでタバコが吸われているのを見たことがないし、そもそも人の健康を気にして注意してくるのも意味がわからない。親ならともかく、他人がわざわざ心配してくれているとも考え難い。

タバコのイメージ

タバコのイメージははっきり行って最悪だ。一つは、”ワル”のイメージがある。タバコを吸っている人は、不良かチンピラ扱いだ。もう一つは、依存性のイメージだ。科学的には、ニコチンには強い依存があるとされている。つまり、喫煙者はタバコに依存してしまうようなダラシない人間だと思われているのだ。上段と組み合わせれば、自身の健康へのコントロールができない人というおまけもついてくる。つまり、悪くて自制心がない人という印象が強いのではないだろうか?

YouTubeを例にして

少し、視点を変えて見ようと思う。
有名YouTuberが喫煙マナーを注意する動画が人気を博している。これは強者が毅然と立ち向かう様に痛快さを感じるのだろう。喫煙者の私が見ていても清々しい気持ちになる。この痛快さについて、さらに踏み込んで言えば、自身の本音として言いたかったことを代弁してもらっている気がするのではないだろうか?日頃から思っているが恐れ多くて言えないことを、ズバッと言っているところに痛快さが生まれるのだと思う。
また、こういった企画ではタバコの吸い殻を清掃していたりするシーンがある。そうしたシーンについては、清廉潔白な正義のヒーローのように扱うコメントが散見される。だが、適当に街を歩いてみるといい。路肩にはチラシやらレジ袋が落ちているし、ゴミ収集場所ではカラスによって散らかった生ゴミが車道にまで広がっている。私は”地回り”と称して深夜の駅前を徘徊し、ゴミを拾うことがあるのだが、確実に変態扱いだ。いや、私の場合は本当に変態だが、街でゴミを拾うのは清掃員か物乞いだけだと思っていないだろうか?なぜ、吸い殻を拾うことがそんなに特別視されるのだろうか?仮に、街で清掃員を見かけたとして、偉いなとコメントを残したくなるほど感銘を受けているのだろうか。
このYouTubeの動画を見ると、タバコが嫌われている理由の正当性を疑いたくなってくる。

ぶっちゃけ、イメージの問題なのではないかと

ここまできて私が思うのは、とにかくイメージが悪いから嫌われているのではないかと思う。私たちが生きる社会というのは、秩序というもので成り立っている。時には我慢して、時には譲り合いをする秩序だ。東京に住んでいると、助け合いという言葉よりは、遠慮し合うということの方が、秩序の意味として主流になっていると気がする。そんな中で、自制心のないワルは敵でしかない。秩序を簡単に破壊してしまうからだ。秩序を守ってきた人からすれば、自制心のなさは自分に対して何をするかわからない不安になり、ワルのイメージは横暴さに繋がる。「私たちがこんなに我慢してきているのに、この人たちは気にもしない恥知らず」そういう本音があるように思うのだ。
そうなってくると、本当に喫煙者が嫌いなのか怪しくなってくる。タバコが嫌いだという人に聞くと、臭いや健康、公共への迷惑さなど、様々な理由が出てくる。その根拠は人によって異なる。しかし、話をよくよく聞いてみると、タバコを吸っている人に何かをされた訳ではないが、被害的に語っているように聞こえる。気持ちの部分では、一貫して社会への悪というものがあるのではないだろうか。
それも、暗黙に潜む、私たちの秩序という概念においてだ。だからこそ、多くの人は表立って喫煙者を攻撃しない。影で噂を立てて、お店に喫煙スペースの撤廃を促す程度が精々だろう。というか、当の本人たちも漠然とした感覚なのだと思う。なぜなら、その人たちは考えたに違いない。「タバコが嫌いな人は悪だ!しかし、その人たちは何か社会に悪いことをしたのか?」と。社会のルールとしては悪いことなどしていないのだ!当然だ、法律で許可されてるんだから。
それでいて尚嫌うのが、人の心理の奥深いところだ。ここまで来ると、もはや明確な理由などない。嫌いだから嫌いというレベルにまで落ちている。だからこそ、それらしい理屈をつけるのだろうが、納得いく話を聞いたことがない。というか、喫煙者が納得できる話があれば、世の中の喫煙率はもっと下がると思う。早く、私をタバコから解放してくれ笑

ここまでの話を整理しよう

だんだん書いてるうちに、しがない無職喫煙者がタバコを吸わせろと駄々を捏ねているようにしか聞こえなくなってきた。実際、そうなのだが・・・

●前提として
  「私とちの社会には、譲り合う秩序がある」
●タバコにはワルのイメージがある。
YouTubeの人気動画に喫煙者を成敗する動画がある。
  「言えないけど、喫煙者は悪だと思う気持ち」
以上3点より
→ ワルのイメージから秩序を壊すような印象を持たれている 

ここまでの話をまとめるとこうなるだろうか。うーん、すごい飛躍した話だ。勝手に引かれた前提と、タバコへの印象操作、勝手な引用によっての無意味な根拠付け。詐欺師の手口だな!

私の思うこと

とはいえ、これが言われる側の気持ちというか、喫煙者が嫌われた時の違和感なのだ。
ここから、盛大に話を脱線させようと思う。上にあげた話の結論を「だから、タバコは悪だ」という方向に持っていこう。

●前提として
  「私とちの社会には、譲り合う秩序がある」
●タバコにはワルの要素がある。
YouTubeの人気動画に喫煙者を成敗する動画がある。
  「言えないけど、喫煙者は懲らしめられてスッキリする」
以上3点より
→ 皆がタバコは秩序を乱すようなものだと思っているが言えずにいる

タバコがなぜ悪いかは色々な要素があって上げればキリがない。しかし、日本人の共通認識として、日本社会を乱す要素だと内心思っている。それを言いにく風潮があるだけ。そういった印象に変わったと思う。
タバコの善悪は、もはやどうでもいい。この現代流のプロパガンダってこういうものを指すのではないかと思うのだ。消費税を上げると反対されるだろうけど、タバコ税なんかいくらあげても支持率は下がらないだろう。そう民衆に思わせるプロパガンダってこういう形で現れるんじゃないかと。非常に危うく見える。
かつての旧友が、タバコを吸う私に「そんな奴になったのか。ダセェ。」と言ったのを覚えている。止めてくれた気持ちは感謝している。(むしろ、止まんなくってごめんね)。しかし、この言葉には根本の人格を否定するニュアンスがある。タバコを吸ってる奴が全員ダサい奴って胸を張って言えるのが可笑しくないか。職場でエクセル使ってる奴はダセェって言ったら尖った意見に思われるし、「デブになったのか」と落ち込まれたら、相手の人格の方を疑ってしまう。「タバコは本人の意思だから」という意見もあるだろうが、それさえも使い古された言葉だ。本当に社会の誘導を受けていないと言い切れるのだろうか。いつか、「ニートと喫煙者は最低だ。こいつらは自己責任で落ちぶれた」と否定される時代がくるのだ。いや、もう来てるか。私、詰んだわ!

まとめ

繰り返しになるが、私は嫌煙家を批判している訳ではない。年中タバコを吸わせろというが、今回はそういうことを言ってる訳でもない。喫煙者を批判するプロセスに、大衆心理の暗い部分が見え隠れしていると指摘しているのだ。所詮は、ニートの戯言だが、暇な時間があれば、ちょっと考えてみると面白いかもしれない。あーー、これ後日見返して恥ずかしくなるタイプの記事だなぁー笑

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